校長室より

日誌

【校長ブログ】分校の入学式

 4月9日(木)お天気予報では雨のようでしたが、久喜特別支援学校白岡分校の入学式の今日は、晴天でした。

 昨年度の分校の第1回卒業式の時もこの校長ブログで書きましたが、分校の校歌がとても美しい歌詞なので、今回はここにあげさせていただきます。と言っても、私の好きな表現だけですが。

「笑顔でいられること 幸せなことなんだ。これから続く僕らの 淡く霞む日々よ。」とか「仲間がそばにいると

少し強くなれるんだ。」「ありのままの自分もきっと好きになるから。」とか「踏み出そうよ未来へ。」「揺れる思いを胸に抱えて歩き出してみよう。」「迷いながら輝ける季節を重ねていこうよ。」「羽ばたこうよ未来へ、きらめく夢を胸に抱えて

それぞれの場所へと果てしなく続く空で僕らはつながってるから。」といった言葉です。

 白岡高校の生徒も分校の生徒も、ここで学ぶ人たちは、すべてが未来だと思っています。そうでなければ、我が国の繁栄、世界の繁栄は成り立たないと本気で感じています。

 令和8年度も白岡高校と久喜特別支援学校白岡分校との共同行事について、ともに仲良く、切磋琢磨してまいります。

 どうぞよろしくお願いします。本日は、おめでとうございました。

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【校長ブログ】令和7年度修了

 3月31日(火)です。風が強く横殴りの雨の予報でしたが、雨はさほど、降ってはいないように見受けられます。

 さて、令和7年度の白岡高校も今日で修了となります。

 200回を目標としているこのブログもその回数を更新できました。本当にありがとうございます。私は、生徒の前でお話する機会はあまりないので、課業日には毎日毎日、ブログを更新して、私の考えていることなどを出来るだけ、白高生、そして、保護者の皆様、白岡高校を志望校に考えている中学生や、その保護者様に伝えていきたいと考えております。

 今日をもって、令和7年度のブログは終了します。明日からは令和8年度のスタートです。引き続き、白岡高校をよろしくお願い申し上げます。

 

 ありがとうございました。

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【校長ブログ】卒業式・修了式の言葉

 3月26日(木)です。お恥ずかしい話ですが、今朝は目覚ましをかけていたのに、なぜか切ってしまい、起きたのがいつもよりも30分遅れました。もちろん、それでも勤務開始時間には間に合うのですが、ギリギリで着くと心に余裕がなくなってしまってぞわぞわとした感覚、始業してもなかなかフル回転でお仕事に臨めません。

 さて、今日は義務教育の終業式が多く実施されております。私は職業として、校長というのはどんな話をするのかな?ということに興味がいってしまいます。これは、他の高校の校長の話、または大学の総長はどのような式辞を述べるのかな?と気になって仕方ありません。

 大学でいうと東京大学総長の言葉は新書にもなっているくらいですので、興味がわきます。昨日、東京大学の令和7年度卒業式があり、藤井輝夫総長の式辞がアップされておりました。

 要約しますと、以下のような感じです。

〇皆さんの進む道はさまざまですが、東京大学で得た学びや仲間との経験は、これからの困難を乗り越える糧になると信じています。

〇今、世界は深刻な対立や分断を抱えています。戦争は武力衝突だけでなく、サイバー攻撃や情報偽装、資源不足など多面的に私たちの生活を脅かしています。こうした時代に、次の世代のためにどんな社会を築くべきか、それは皆さん自身の理想や生き方の問いでもあります。

〇問題を解決するには、一つの視点に固執せず、多角的に物事を捉えることが重要です。具体的には「鳥の目」(俯瞰した視点)、「虫の目」(具体的な現場の視点)、「魚の目」(時間軸を踏まえた流れの視点)の3つの視点を持つことが求められます。

〇対話を通じて異なる意見や価値観を理解しあい、新たな視点を築くことが平和や共存の鍵です。多様性を尊重しつつ、一人ひとりの違いを認め支え合う「エクイティ(公平性)」の考え方も大切です。

〇本学では「響存」を掲げ、多様な人々が互いに響きあいながら共に生きる社会を目指しています。また、社会課題の解決と持続的な成長を目指す「共助資本主義」の連合活動にも取り組んでいます。

〇昨年の不祥事により信頼を損なったことは深く反省し、再発防止に努めます。 

〇未来を創るには想像力と対話が不可欠です。皆さんには「創造的地球市民」として、多様な視点と対話を大切にしながら、地に足をつけて歩んでほしいと願っています。

 比較的、分かりやすい式辞です。大昔の東大総長の式辞は50分近くもあり、途中、気分が悪くなって医務室に運ばれる学生もいたというエピソードがあります。

 私が注目するところは、お祝いの席で自分の大学の恥部を「昨年の不祥事により信頼を損なったことは深く反省し、再発防止に努めます。」という風に述べている所です。意見の分かれるところだと思いますが、私個人としては、真摯に受け止めた結果、この席でも学生諸子に伝えて自分の血肉とするようにとする学長の真面目を感じました。(かなりの上から目線ですが)

 私もミスだらけですが、正直に申し上げて、今後、再発しないようにしていくことが反省につながると思っています。など考えながら、令和7年度も後3日間、令和8年度の始業式・入学式の式辞の内容を考えております。

 

 

 

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【校長ブログ】高校教科書検定

 3月25日(水)です。昨日は晴れ上がって良い天気でした。今日は朝方からどんよりとした陽気で、今は桜雨のような雰囲気です。

 白高は、今日から約2週間の春休みで、部活動に来ている生徒たちの声はしますが、雨なので、グランドは静かです。

 さて、今朝の新聞各紙は「教科書検定の結果」についての記事が掲載されておりました。国語科としては、2022年度から「現代文」という1つの科目で扱ってきた評論と文学を、新しい学習指導要領として「論理国語」「文学国語」という2つの科目で学ぶことになりました。
 どちらも共通履修科目である「現代の国語」及び「言語文化」により育成された資質・能力を基盤とし、主として「思考力、判断力、表現力等」の感性・情緒の側面の力を育成する科目として設置されています。

 「論理国語」では論理的に書いたり批判的に読んだりする資質・能力を育成することを主眼とし、実社会において必要となる、文章を論理的に書いたり批判的に読んだりする資質・能力の育成を重視しております。教材としては、「近代以降の論理的な文章及び現代の社会生活に必要とされる実用的な文章」や「必要に応じて、翻訳の文章や古典における論理的な文章などを用いることができる」ということになっています。

 また「文学国語」では深く共感したり、豊かに想像して、書いたり読んだりする資質・能力を育成することを主眼とし、深く共感したり豊かに想像したりして、書いたり読んだりする資質・能力の育成を重視しております。教材としては、「近代以降の文学的な文章」や「必要に応じて、翻訳の文章、古典における文学的な文章、近代以降の文語文、演劇や映画の作品及び文学などについての評論文などを用いることができる」ということになっています。

 この度「論理国語」においても小説が大幅増となっていて、やはり、様々な分野の文章を読むことは大事であるとの結論になっているのだということです。しかしながら、同じような内容になってくると科目分けの意味がないのではとする意見も当然出てくるわけです。

 この点については、次期指導要領で整理すべき課題だと有識者は述べております。

 私も注目しております。

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【校長ブログ】修了式

 3月24日(火)今日で、白岡高校令和7年度の課業につきまして修了となりました。白高生の皆さん、教職員の皆さん、そして、ご家庭でお子様たちを育んでくださっている保護者の皆様、皆様に校長として厚くお礼申し上げます。

 今回の講話は私の個人的な経験、今年度「国宝」という映画を観て、元々は国語科教員であり、大学時代に「歌舞伎論」という講義を取っていたものとしてからの視点でこの映画についての感想を述べました。

 この映画の中の光と影の部分を際立たせ、陰の部分をもエネルギーに変える人間の凄味について語りました。主役の2人の若手歌舞伎役者についての苦悩や葛藤と白高生の日々の頑張りや苦悩などを照射してお話したつもりです。

 そして、この2人にはレジリエンス(回復力)があると思って、その回復力の参考として、スティーブジョブスの生涯についても話をしました。なぜ、スティーブジョブスの話を出したかというと、高校生の7~8割はiPhoneを使用しており、彼が、apple社から追い出されて一から始めた新しい企業がPixar(ピクサー)という「トイストーリー」「私がビーバーになる時」等で有名で、白高生にもおなじみだと考えたからです。

 スティーブジョブスの好きなことを一生懸命にやって、叩きのめされても、這い上がるようなレジリエンス(回復力)を持ってほしいと訴えたかったのでした。

 後から、若い先生から「トイストーリー」よりも「ズートピア」の方が見ているかもしれませんねとご助言をいただきました。

 私は、どの高校でも学期の終わりには、生徒全員が三回拍手をして締めるということを実践してます。まずは「今年度、一緒に過ごして仲間に」次には「厳しくも愛情を持ってお導きくださった先生方に」最後に「今季 頑張った自分自身に」一番盛大な拍手というようにしています。

 校長になった時に、この学期に頑張った生徒を担任からご推挙いただいて、その生徒に壇上に登ってもらい「一本締め」をやっていただいたら学校の一体感が増すのではないかと思っていたのですが、最初の高校で、相談した先生から「生徒を一人なんて選べません。」というご意見を頂戴し「確かに!」と思ったので、拍手にしようと考えました。

 お互いを認めて拍手をすることはどのようなスポーツや文化の大会でもやっています。そういう集団に白高全体がなってくれるのが、私の理想です。

 令和7年度、お疲れさまでした。そして、創立50周年の令和8年度に向かって GO!!

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【校長ブログ】PTA・後援会評議員会・理事会並びに入学許可候補者説明会

 3月23日(月)、週が変わりました。201回目のブログです。

 今日はPTA・後援会評議員会・理事会を午後に開催しました。令和7年度のPTA事業と来年度の日程計画についての会議でした。PTAの理事等の役員の方々には年度末のご多用な中、ご来校いただきまして深く感謝申し上げるとともにすぐ前の前に来る令和8年度についてのご準備について検討していただきましたことにも深くお礼を申し上げます。

 そして、その後、入学許可候補者への説明会となりました。この入学許可候補者説明会という一気には言えない長いセリフは、その名の通り「許可候補」なので4月8日入学式でクラス担任から呼名され、その後、校長の許可があって初めて白高生の一員になれるのでこういった長い式の名前となっています。

 PTAの役員の方々もPTA活動のインフォメーションしていただいて感謝でした。そして、許可候補者の皆さんとその保護者の方々も期待しながら各説明をお聞きしていただいていて、本当に新しい年度が始まるのだなぁ~と、この時期の独特の感慨に耽ります。

 私の高校時代には「許可候補者説明会」といったものは無く、4月1日入学式までは、毎日毎日、中学校の同窓会と称して、江ノ島に行ったり、近所のファミレス(ロイヤルH)に行ったりと遊んでばかりいました。

 百人一首を覚えておくとか、英語の単語帳から試験が出るとか、数学の問題集をやっておくように言われてましたが、やったのか?やらなかったのか?は今は覚えていません。(気が小さいのでやったとは思います。)

 駿台英文700選の暗記もあったように思いますが、今考えてもあれを高校1年生で覚えられたら、きっと最高峰の大学に進学できたと思います。ですからやったけれども覚えていないというのが真相であると思います。

 3連休で読んだ雑誌の中に、小中高校での宿題で役に立つのは「算数・数学」なのだという検証があるとの話がありました。小中高程度の算数・数学というのは論理性が分かれば解ける問題ばかりだそうで、大人になってから論理性が身に着くためには算数・数学の宿題をやると良いのだそうです。

 私は、どちらかというとウェットな性格なので、数学をそれほど勉強してなかったのではないかなと自己診断します。白高生はまだまだ、何にでもなれます。数学もしっかりと頑張りましょう!!

 

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【校長ブログ】祝!200回!

 3月19日(木)です。明日は「春分の日」で、諸説ありますが、この日を境に昼間の時間の方が夜間の時間より長くなるということが私の子供時代には言われていて一番分かりやすい説明でした。

 さて、学校年度、令和7年度も後、実質7日間となりました。(終業式だけなら後2日です。)

 そして、表題にあげましたが、本日のブログで白岡高校では200回目のブログとなります。ここまで3校の校長を務めさせていただいておりますが通算すれば1000回を超えるブログを書いたことになります。同じく校長の友人からは「製本すれば記念になるのに・・。」と言われたりしますが、このブログは「ぶっつけ」で打っていますので、下書きはありません。学校を異動するとその学校のHP上には私のブログは無くなりますので、残っていません。それだけにもしかすると、同じ内容を書いている可能性もあります。(なにせ、同じ人間ですから経験や体験は同じ内容になります。)

 今日のその日の感覚で書いてますから誤字や脱字などもあると思います。元国語科教員としては恥ずべきことですが気にしていると何も書けなくなります。やらないよりもやった方が良いと思うタイプなので、これからも書くと思います。

 テレビ番組と比較するのはテレビ番組に失礼とは思いますが、放送が1000回超えると、その番組は長寿番組として成功したと言われるようです。誰も「成功したね」などと評価するわけでもないですし、良い評価をされようと思って続けているわけでもないので、何とも言いようがありません。本当に自己満足なのだと自分の傲慢さを呪うこともあります。ただ、一点申し上げるならば、私の考えを言い尽くすには入学式・卒業式、各種儀式、先生方には職員会議の席での5分程度では言い尽くせません。ですから、ブログを読んでいただいて私の考え方について御理解をいただければ幸甚だと思っております。そして、健全な批判もお願いしたいところです。侃々諤々喧々囂々と議論したいです。

 1000回もやって「いい加減にせんかい(1000回)」と言われない(しょうもない「おやじギャグ」ですが)ようにしてまいります。

※私の幼少期の偉大な数学者の広中平祐さんが鬼籍に入られました。フィールズ賞受賞となった「D≦3における代数多様体上の特異点の解消に関する定理を一般化し、結果が任意の次元で成り立つことを証明。」については難しすぎて理解はかないませんが、フィールズ賞のメダルに記されている「己を高め、世界を捉えよ」というアルキメデスの言葉は白高生にも体現してほしいと感じます。

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【校長ブログ】「読み書き」人生に誇り

 3月18日(水)です。今日で、この校長ブログも第199回目を迎えました、どこの学校でも「年間200回」を目標としています。ただの自己満足かもしれませんが、明日、ブログを書ければ、白岡高校でもミッションコンプリートとなります。

 さて、今朝のY新聞の一面にはタイトルの見出しがありました。現在90歳の西畑保さんは、小学校時代、貧しさが起因となり、学校でお金を盗んだと誤解され、教職員や同級生からいじめを受け、小学2年生を最後に学校に通わなくなったそうです。その影響から字の読み書きが困難となり、そのことが理由で様々な場所でいじめや差別を受けることとなりました。皎子(きょうこ)さんと見合結婚してからも読み書きができないことを隠してきそうですが、回覧板に自身の名前を書けなかったことで、皎子さんに隠しきれず、離婚を覚悟で読み書きができないと白状したそうです。皎子さんは、その事実を受け入れて保さんに「文字の読み書き」を教えてみたものの、保さんは乗り気にならず、いつしかやめてしまったとのことでした。60歳を過ぎて、飲食店を辞めてから、長年自分を支えてくれた皎子さんにラブレターを書くのを目標にしようと、夜間中学に通う決意を固め入学手続きをしたそうです。そのことを家族に打ち明けたとっころ、皎子さんからは鉛筆を1ダースプレゼントされたとのことでした。

 夜間中学では、毎日授業開始の1時間前に学校に行き「あいうえお」から書き続け、7年後のクリスマスにようやくラブレターを書き上げたのだそうです。その後には、毎年クリスマスに渡していたそうですが、4通目を渡す直前に皎子さんは急性心不全で天国に旅立たれ4通目は棺に入れたのだそうです。

 この話は映画化され、主演は、保さん役に笑福亭鶴瓶(若い時代は重岡大貴)、皎子さん役に原田知世(若い時代は上白石萌音)でした。(鶴瓶の若い頃が重岡くんとは?と思いますが)

 保さんのラブレターの内容は「君のお陰で今の僕があります。君は僕を一人の人間として立ててくれて、うれしかったよ」だったそうです。

 短いですが感動するお話です。やはり、言葉には人を感動させるものがあります。言葉はその人自身の「尊厳」や「自己肯定感」を高める作用があると思います。

 私自身も、文章の巧拙はどうでも良いのですが、真心のこもった文章を表現していきたいと思っています。白高生も自分の言葉で誰かを暖かくする文章を紡いでほしいと願います。

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【校長ブログ】フランクフルト学派

 3月17日(火)です。今朝のニュースでは、ユルゲン・ハーバーマスというドイツの哲学者が逝去されたことが掲載されておりました。

 彼は、フランクフルト学派の一員として、「対話的理性」という概念を中心とした思想を展開しました。ちなみに「フランクフルト学派」とは、20世紀初頭にフランクフルト大学で設立された学派で、「理性的であるはずの人間がなぜナチス政権を生み出してしまったのか?」という問いに当事者として真摯に向き合いました。

 ハーバーマスは、理性を「道具的理性」と「対話的理性」の二つに分類し、これらを区別しました。「道具的理性」とは、目的を達成するための最適な手段を選び出す理性のことを言います。例えば、学校まで最速で行く方法を考えている時は、「最速で移動する」という目的を果たすための「道具」として理性を使っているというようなことです。

 「対話的理性」とは、対話やコミュニケーションを通じて、相手との間に理解や合意を生み出す理性のことを言います。例えば、友達と話し合って旅行先を決める時、相手を理解したり自分の考えを伝えたりするために理性を使っているというようなことです。

 ハーバーマスは、現代社会は「道具的理性」に偏りすぎており、そのことが社会問題を生む原因となっていると指摘しました。そして、人々が「対話的理性」を取り戻すことで人間性が発揮され、社会を改善することができると主張しました。

 彼によれば、私たちは誰かと対話することで初めて理性を発揮することができるということです。社会人になると、お仕事ばかりで、会社の同僚や家族以外の人と会う機会が急に少なくなることがあります。それでは同じ方向性、志向の者だけの付き合いになり、他の志向などを排除しがちになると言っているのだと思います。

 「他者の理解」ということは、例えば、私が陸上競技を大好きという中で、野球好きだったりサッカー好きだったりという人を理解することが他者理解なので「?」と思うことを「そういう考え方もあるんだな!」と思うことが大事なわけです。そういった話し合いをすることで争いことをなくしていくということが大事だと主張しています。

 今回は、ハーバーマスの思想を高校生に分かるように私なりに解説してみました。もっと知りたい人は、中公新書「フランクフルト学派」を読んでみてください。

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【校長ブログ】人権教育

 3月16日(月)週が変わりました。今朝、早くから雨模様でしたが、今は晴れております。

 今日は白岡高校では1・2年生対象に人権教育を実施しています。

 少しだけ解説しますと「人権」とは、すべての人が生まれながらにして持つ、人間らしく生きる権利です。
「人権の定義と特徴」とは、人権(human rights)とは、誰もが生まれながらにして持つ、人間としての尊厳や自由を保障する権利のことです。人種、性別、身分などに関係なく普遍的に認められ(普遍性)、人間であることによって当然に有する(固有性)、原則として国家権力によっても侵されない(不可侵性)という特徴があります。
「人権の分類」は、人権は大きく三つに分けられます。①自由権→思想・信条、表現、集会・結社の自由など、個人の自由を保障する権利②参政権→選挙権や被選挙権など、政治参加に関する権利③社会権→教育を受ける権利、労働権、生活保障など、社会的な生活を保障する権利などを指します。
 日本国憲法では、第11条・第97条で基本的人権の享有を妨げられないことを明記し、これらの権利は「侵すことのできない永久の権利」として保障されています。また、国際的には国際人権法や世界人権宣言(1948年採択)によって、すべての人が享受すべき共通の基準として認められています。
 白高生が生きる「現代社会における人権問題」では、現実の社会では、いじめや虐待、インターネット上での名誉やプライバシー侵害、障害者や外国人、性的マイノリティへの差別などが想定されます。私が高校生時代には、比較的に「部落差別」や「ハンセン病問題」などが人権問題として学んだことだったように思います。
 つまり、人権は、生まれながらに持つ権利であり、個人の尊厳と自由を守るための基本的な枠組みです。日常生活や社会制度の中で人権を理解し、尊重することが、誰もが安心して幸福に生きられる社会の基盤となります。

 一つだけ説教すると、皆さんには「教育を受ける権利」としての人権があります。よって、せっかく受けられる権利(人権としての)です。思い切って「勉強」してください。(勉強を受けるための人権は要りませんということにはならないでほしいです。)

 学校の授業だけが勉強ではありません。友達と語らうこと、先輩の教えを受けること、お家の方のお手伝いをすること、自分自身で読書すること、これらも全て「勉強」となります。

 

 

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