校長室より

【校長ブログ】水の東西

 9月12日、金曜日です。天候は曇りで昨日からの雨で気温は高くなく今までよりは秋を感じております。(湿度は高いから秋というには違和感ですかね。)

 さて、今日は白岡高校国語科I先生の研究授業でした。題材は「水の東西」(山崎正和)でした。

 「水の東西」は1977年に刊行された「混沌からの表現」という文化・文明批評集に収録されている評論文です。
 作者の山崎正和は、昭和後期〜平成時代に活躍した劇作家・評論家で、「劇的なる精神」「鴎外 闘う家長」などの作品も有名であります。中でもこの「水の東西」は、私が高校時代の教科書にも載っていた評論教材の定番的存在になっており、現在でも多くの国語・現代文教科書に採用されています。

 簡単に要約すると、以下のようになります。

※日本の「鹿おどし」は、我々に流れるものを感じさせる時間的な水である。対して、西洋の噴水は、彫刻のように造型された空間的な水である。これは日本人にとって水は、自然に流れる姿が美しいのであり、造型する対象ではなかったからだ。日本人にとって水は、見えない流れを感じさせるものであり、目に見えるような空間的な対象ではない。したがって、「鹿おどし」は、日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだと言える。

 私は高校時代、この評論を学んで「なるほど~!」と目から鱗というか、何か文化や文明を理解するためには(又は相手に理解させるためには)二項対立するものを例に出して説明すると理解しやすいのだということに気づきました。

 この評論を読了後、ルース・ベネディクト「菊と刀」に手を伸ばしてみたりして国民性の違いなどに興味を持ち、文化人類学に興味を持った時期もありました。

 今の高校生では「鹿おどし」なんて見かけることもないので、この文章をそのまま読んで「あ~。なるほど・・。」といった私のような単細胞ではないでしょうけれど・・・、文化や文明を論じることは、もうハイブリッド化している世界でも必要だと感じます。

 「読書の秋」とも言います。教科書でも読書だと思ってしっかりと読了してください。